2011年5月16日月曜日

被災地石巻

今日は石巻の親戚宅を訪問。そこは3月11日の震災の被災地。津波で1階部分は浸水し、しばらく水が引かなかった地域。往路は一般道のみで、復路は有料道路を使った。往路は仙台市内の国道4号線を北上し、利府街道から石巻方面へ。昔から馴染みのある道路なので通ったが、45号線を仙台から石巻に海沿いを走って行くのが正直こわいと言う気持ちもあった。仙台に到着した日に港周辺の、まだ片付けもされていない被災したままの状態を見て以来、自分の力ではあらがうことのできない自然に対する畏怖の念が、どこか心の隅に住みついてしまっている。仙台~多賀城~松島と走り、東松島の川沿いを走る頃から雰囲気が変わった。大きな木が巨人にでも引き抜かれて投げ捨てられたように、ありえない場所に転がっている。畑の中に車があったり、家の屋根だけがあったり、海や川の水が見えない場所で、だいぶ片付けられたと言われる今でも木の幹や大きな枝がそのままだったりする。石巻の市街地に入ると砂埃が舞っている。自分と同じようにバイクに乗る人には、マスクをしている人もいる。これを想定して自分も準備していたのだが、実家にマスクを忘れて来ており、いつもならまあ良いやと思うところ、忘れたことを本当に後悔する程に砂埃の舞い上がり方がひどい場所もあった。そして道路の路面の隆起や陥没がひどく、道路の状態や砂のおかげで信号での停車時や渋滞でのノロノロ運転の最中には普段の倍は気を遣った。親戚の家のある集落に向かうには、北上川の川縁の堤防を走る。サーッと一面に砂が浮いていたり、境目がわかりづらい状態でアスファルトから砂利に路面が変わったり、全然安心して運転できるような路面ではなかった。災害支援車両も多く走っており、バイクで走ることがそのような車両の邪魔になっていないか気を遣ってしまう。他県ナンバーのバイクに乗っていることが、負い目であるかのように気が重たくなった。親戚の家に到着し庭を眺めると、一見平静を取り戻したかのように見えるが庭の木々はよく見ると枯れている。海水にしばらく浸されていた木々はヘドロで汚れ、わずかに残る葉っぱもヘドロが乾燥した泥色が付いている。家の中もだいぶ綺麗になっているが、1階部分はヘドロだらけで掃除が大変だったとか。田舎の家なので多くの部屋が畳であり、新しいものへ変えなければならないが、しばらくの間はどうしようもないのでゴザやカーペットを敷いている。2ヶ月経った今でもこのような状態なのだから、震災後、家に戻った時の大変さと言ったら相当なものと思う。この親戚の家に来る前、この家のお墓に手を合わせにお寺に寄った。墓場はひどい有様で、灯籠が倒れているのはもちろんのこと、土台から割れてしまっていて、どこから手を付けたら良いのかわからないものもあった。大きな石が真っ二つに割れている様を見ると、地震の規模の大きさがわかるような気もするが、想像するにはあまりにも恐ろしい。仙台への帰り道、行く時には見なかった道路の亀裂を多く見た。有料道路の高架区間では、道路横に転落防止の為に設置されている壁が多くの箇所で崩れており、大きな地震が今発生したら足元から崩れてしまうのではないかとこわくなったりもした。我が故郷、完全に復興するまでは多くの時間が掛かりそうだ。

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