2011年5月25日水曜日

おかえり、セロー

セローが帰って来た。細かい数字はわからないけど、だいたい100km位実走して状態を確認してくれたみたいだ。エンジンを始動すると以前との違いがわかる。アイドリングが安定している。10数キロ走らせたけど、以前出ていた症状は確認できなかった。手間と時間をかけて直してくれたので本当にありがたい。そして、おかえり、セロー。

2011年5月18日水曜日

自宅まで北上

フェリーは予定通り11:00頃苫小牧港に到着。夕方まで自宅に着けば良いという考えで、岩見沢まで一般道を走る。地図を一切見ずに、道路案内標識だけを頼りにするも大きな遠回りもなく岩見沢ICまでたどり着く。高速道路を使って来ればだいたい1時間程度の距離なのだろうけど、ここまでおよそ倍の2時間をかけて来た。ま、夕方まで家に着けば良いのであまり問題ではない。高速道路の料金、約2,000円を節約。岩見沢から深川西までは無料区間なので利用する。家に着くまで2回給油をしたが、やはりギア3~4速で走っていても、極端に高回転でエンジンを回さない限り、リッターあたりの燃費は15km程度だ。自分の運転の仕方で6速ギア巡航でもリッターあたりの燃費は16kmちょい。今までは6速に入れないと燃費が落ちるとスピードを出しがちだったが、これでノロノロ渋滞でもあまりイライラせずにギアを落としてゆっくり走れる。そんなこんなでいつもより若干多めの休憩を取りつつ北上。T塩を過ぎるとパラパラと雨が降ったり、気温がガクっと下がるのが体感でわかる。やはり日本最北の地域ということを実感させてくれる。そしてクラッチを握る左手がやや痛くなる。ん~、時間的に考えると、痛くなるのであればとっくに痛くなっていて良い時間を乗っている。痛くなる時との差異を考えると、外気温だろうか。そして今日は苫小牧から走り出した時は夏用の皮グローブ、砂川SAでゴアテックスのグローブに交換。出来るだけ手を冷やさないようにした。春先ブラックバードを引き取りに行った時は、冬用ゴアテックスグローブを着用しても左手が猛烈に痛くなった。時間は今日乗った時間のおよそ3分の2程度。自分の場合、左手が痛くなるのは、疲れの他にどうやら気温にも関係がありそうだ。

自宅到着後 13208 km - 11915 km = 1293 km の旅
11:00頃苫小牧港でフェリーを下船。17:30過ぎに自宅到着。スーパーブラックバードは快調。大好きな相棒だ。

2011年5月17日火曜日

仙台滞在最終日

北海道へ戻るフェリーに乗る日。あっと言う間の帰省の日々。数日滞在したうちにゆっくり話をすれば良いのに、親とはやはり最終日にまとめて話すことがあった。携帯電話を実家に忘れて港に着いたところ、母さんが届けてくれた。送ってもらおうと思っていたのにわざわざ届けてくれて本当に有り難い。嫁さんが一緒に居て連絡がつけば良いけど、バイクでのひとり旅なので、連絡がつかないと心配とのこと。今の時代、やはり携帯電話は当たり前で人と人とを繋ぐコミュニケーションツールとしては欠かせないものなのだろう。
明日は北海道上陸。約400kmの道のりを、ゆっくり自宅まで帰る。
津波によって破壊された仙台港の灯台

2011年5月16日月曜日

被災地石巻

今日は石巻の親戚宅を訪問。そこは3月11日の震災の被災地。津波で1階部分は浸水し、しばらく水が引かなかった地域。往路は一般道のみで、復路は有料道路を使った。往路は仙台市内の国道4号線を北上し、利府街道から石巻方面へ。昔から馴染みのある道路なので通ったが、45号線を仙台から石巻に海沿いを走って行くのが正直こわいと言う気持ちもあった。仙台に到着した日に港周辺の、まだ片付けもされていない被災したままの状態を見て以来、自分の力ではあらがうことのできない自然に対する畏怖の念が、どこか心の隅に住みついてしまっている。仙台~多賀城~松島と走り、東松島の川沿いを走る頃から雰囲気が変わった。大きな木が巨人にでも引き抜かれて投げ捨てられたように、ありえない場所に転がっている。畑の中に車があったり、家の屋根だけがあったり、海や川の水が見えない場所で、だいぶ片付けられたと言われる今でも木の幹や大きな枝がそのままだったりする。石巻の市街地に入ると砂埃が舞っている。自分と同じようにバイクに乗る人には、マスクをしている人もいる。これを想定して自分も準備していたのだが、実家にマスクを忘れて来ており、いつもならまあ良いやと思うところ、忘れたことを本当に後悔する程に砂埃の舞い上がり方がひどい場所もあった。そして道路の路面の隆起や陥没がひどく、道路の状態や砂のおかげで信号での停車時や渋滞でのノロノロ運転の最中には普段の倍は気を遣った。親戚の家のある集落に向かうには、北上川の川縁の堤防を走る。サーッと一面に砂が浮いていたり、境目がわかりづらい状態でアスファルトから砂利に路面が変わったり、全然安心して運転できるような路面ではなかった。災害支援車両も多く走っており、バイクで走ることがそのような車両の邪魔になっていないか気を遣ってしまう。他県ナンバーのバイクに乗っていることが、負い目であるかのように気が重たくなった。親戚の家に到着し庭を眺めると、一見平静を取り戻したかのように見えるが庭の木々はよく見ると枯れている。海水にしばらく浸されていた木々はヘドロで汚れ、わずかに残る葉っぱもヘドロが乾燥した泥色が付いている。家の中もだいぶ綺麗になっているが、1階部分はヘドロだらけで掃除が大変だったとか。田舎の家なので多くの部屋が畳であり、新しいものへ変えなければならないが、しばらくの間はどうしようもないのでゴザやカーペットを敷いている。2ヶ月経った今でもこのような状態なのだから、震災後、家に戻った時の大変さと言ったら相当なものと思う。この親戚の家に来る前、この家のお墓に手を合わせにお寺に寄った。墓場はひどい有様で、灯籠が倒れているのはもちろんのこと、土台から割れてしまっていて、どこから手を付けたら良いのかわからないものもあった。大きな石が真っ二つに割れている様を見ると、地震の規模の大きさがわかるような気もするが、想像するにはあまりにも恐ろしい。仙台への帰り道、行く時には見なかった道路の亀裂を多く見た。有料道路の高架区間では、道路横に転落防止の為に設置されている壁が多くの箇所で崩れており、大きな地震が今発生したら足元から崩れてしまうのではないかとこわくなったりもした。我が故郷、完全に復興するまでは多くの時間が掛かりそうだ。

2011年5月15日日曜日

焼肉とビールが旨かった翌日

昨晩は大学時代の友人宅に泊まったので、今日は米沢近郊から仙台まで移動。
天気は良く、久し振りにファンが回りまくってブラックバードのエンジンが熱いと感じた。日曜日なので車も多かった。
今日はスーパーブラックバードの燃費のことを少し書く。今回の仙台帰省や山形への移動の際、5速ギアで一般道の速い流れに乗ったり、渋滞をずっと3速ギアか4速ギアで我慢したりということが多かった。ほとんど6速ギアに入れることなく給油を2回、それぞれ燃費を計算すると、およそ15km/litterだ。今までは燃費が良くても16km/litterだった。カメがノロノロと進むような渋滞ではなければ、およそ同じような燃費が期待できると思う。ブラックバードに乗り始めの頃は、もっと燃費が悪かった。エンジンを上まで回した時は別にして、ラフなアクセル操作のせいだと思う。最近は機械に優しくするつもりで、アクセルを丁寧に操作している。アクセル開度に対するエンジンの燃料噴射量とエンジン回転数の相対関係とか、その辺も大きく燃費に関わっているのだろうけど、これについては調べなくても長くブラックバードに乗ればわかることだ。調べてもなかなか資料が見つかりそうにないから探したくない気持ちもあるけどね。
山形から仙台に移動する間、天気が良いこともあって多くのバイクとすれ違った。すれ違うバイクを見るに、自分が乗りたいと思う程にカッコ良いなーと思えるバイクが全然ない。大型二輪の免許を取ってバイクを買おうと思った時、ブラックバード以外の購入をほんの少しだけ検討したけど、迷いなくブラックバードを買った。自分はバイクが好きというより、スーパーブラックバードが好きなのかもしれない。10年憧れたバイクはやはりカッコ良い。

2011年5月14日土曜日

ルーツのひとつ山形県

今日は山形へ墓参りと親戚に会うことと、大学時代の友人との夕食を目的としてバイクで出掛けた。
出掛ける前から変な感じがしたので事故に気を付けようと思っていたところ、2件の事故を目撃。ひとつ目は信号のない交差点での事故。メインが見通しの良い片側1車線の直線の国道で、国道に出ようとした車と、国道を直進していた車が衝突した事故のようだ。大破した軽自動車を含めて事故関係車両は3台。たまたま通りかかって事故車両を見た訳だけど、もしかしたらたまたま自分が通りかかった時に脇道から車が飛び出して来るかもしれない。支線から本線に合流する際、「こちらに向かって来ている車両の運転手がブレーキを踏むだろうから大丈夫」と本線を走っている車両のスピードを考えず、支線から出てくる車両の運転手はあまりに多い。自分と相手の相対的位置関係を確認せずに、自分勝手な運転をすれば事故を起こす。または事故に遭う可能性は格段に上がると思う。ふたつめは、片側1車線のトンネルとカーブが連続する山あいの国道での事故。まず給油している時にパトカー、救急車、消防車が連続して走って行ったので、事故が起きただろうことは想像した。片側1車線の道路が続いていることはわかっていることなので、事故の規模が大きいと通行止めになったり渋滞がひどくなる。そしてやはり事故現場近くなると渋滞が起きており、警察官が事故処理にあたっていた。消防車が出動していた理由は、事故がタンクローリー車に乗用車が自らの車線から飛び出して衝突していたからだ。タンクローリー車からは、道路に大きな染みを作る程度の燃料と思われる液体が漏れていた。緩いカーブで乗用車がハンドルを切らずにタンクローリー車に突っ込んでおり、車両の破損状態を見るに、スピードの出し過ぎでカーブでハンドルを切り損なったというものではないと推測できる。車にトラブルが発生していたのではなければ、おそらく事故の原因は乗用車の運転手の居眠りか何かだろう。先を急いでいても、目的地に到着できなければ意味がない。疲れている早く着きたいという気持ちを抑えて休憩を取る勇気が必要だ。目的地にちゃんと到着できなければ、車両は便利な道具ではなくなってしまう。
バイクに限らず乗り物を運転するならば、自分の技量を過信しないこと、運転中には自分と周囲の動きの予測とその信頼性を常に考察すること、自らを危険なスペースに置かないよう、常に危険からの回避行動を取ることが必要だと思う。
自分が出発の時間を少し早めていたりしたら、もしかしたら自分の事故の当事者になっていたかもしれない。やはり今日のように少し変な感じがした時には、特に気を付けて運転しようと思った。

2011年5月13日金曜日

青葉城跡

昨晩寝る前に中学校の卒業アルバム見てみた。全然おぼえてない。写真のアルバムを見ても、中学時代のはどういったシチュエーションでそういう写真が撮られたのかとか、ホントよくおぼえてない。一緒に写真に写っている人達に申し訳ないな。
今日は午後、青葉城跡におかんと行って来た。政宗の写メを送れという嫁さんからの指令を受けてのものだが、何て従順なダンナなんだろ。自分を誉めてあげたい。天気が良かったこともあるけど、仙台って良い街だなと思った。気候も厳しくないしホント住みやすいと思う。それだけに今回の震災は本当に残念だ。

青葉城跡 伊達政宗
震災後ということは、実家の近辺ではあまり意識することがなかった。ただ、今日買い物へ行ったショッピングモールは、店内は照明が間引きされて薄暗く感じられ、やはり慣れない自分には多少の緊張感を強いるものだった。お土産の下見もしたけど、原料が十分に調達できていない仙台名物のかまぼこは、いまだにひとりあたりの購入点数を制限しての販売だ。旨いかまぼこを嫁さんにリクエストされていただけに残念。こんな時期なので仕方がない。
今日はおかんを乗せての車でのドライブだったけど、仙台はやはりスクーターや小型のバイクが多い。北海道に較べ十分とは言えない道幅の道路を、ヒョイヒョイ車の間をすり抜けられると、車を運転する側としては引っかけないかと心配になってしまう。仙台に住んでいた頃は、自分がすり抜けをする側だったのだけれど・・・

2011年5月12日木曜日

被災地仙台

仙台到着の日。前日母親から「地方から被災地を興味本位で見に来て、被災者の感情を逆撫でしているような人がいるから、あなたもそうであると思われないようにしてね」と電話で言われていた。仙台港に到着し、フェリーターミナルの敷地から出るとすぐに震災後被害を受けたボコボコの車やトラック、コンテナ等が整理して並べられていた。少し走ると林の中に車が横転したり、ひっくり返ったり、または木にもたれ掛かったり、震災で被害を受けたそのままの状態で放置されていた。もはや2ヶ月前のことだと言うのに、未だ手付かずの状態で放置されている車があるということに衝撃を受けた。カメラを取り出して撮影したい気持ちに駆られたが、地方ナンバーのバイクにまたがり、母親からの話を聞いていた自分には、カメラを取り出して目の前の震災で被害を受けたままの光景を撮影する勇気がなかった。道路脇に駐車された車をよく見ると、壊れて動かないだろう車が混じっていることも。何なのだろう。非日常が簡単に目の前に存在する。新聞や雑誌、インターネット等で写真はたくさん見たけれど、自分の目で見る悲惨な光景というのは格別心に残る。こんなことってあり得ないと思った。目の前に広がる光景を見て、心が感じたことを言葉に表すのはとても難しい。
仙台の実家に着いて、母親といろいろ話した。今回もやはり「バイクには乗らないで欲しい」ということは言われた。「わたしの兄弟から乗るなって言われたでしょ?」確かに母親の兄弟には電話などで「乗るな」と言われた。でも自分は乗りたいし、乗ると思う。危険だと思わないことはない。車みたいにシートベルトや安全装置が充実している訳でもない。むしろ、危険と思い過ぎてビビっているところもある。乗る前に、「転びませんように」「ケガをしませんように」「事故に遭いませんように」「危険な目に遭いませんように」「無事に帰って来れますように」といっぱい心でお祈りをするのはいつものこと。自分で転んでケガをしたり、相手が悪くて被害者になるだけではなく、自分が加害者になる場合もあるはずなので「事故を起こしませんように」とお祈りし、安全運転を心掛けるのも忘れてはならない。バイクに限らず、出掛ける時は無事の帰宅をお祈りするのが良いと思う。無事じゃないと何も楽しくない。

2011年5月11日水曜日

バイクにかかる道具のこと

バイクの道具について。バイクを買って乗り始めるのに際しては、自分が思いつく必要最低限で済ませるのが良い。周囲の人に勧められても、自分が使わないと判断するならば絶対に買うべきではない。バイクにしばらく乗ると自分が本当に必要な道具がわかってくると思うので、それから必要な道具を買うのがベター。実際買うに際しても、下調べを十分にするべき。掛かるコスト(お金)はもちろんだけど、買おうとする道具の持つ能力がどれだけのものか調べることが重要に思う。今、自分がどれだけの能力を道具に要求するのか、そして最終的にどこまでの能力を道具に要求するのか想像するのが大切。
自分の経験を書くと、北海道の春先まで対応できるバイク用の防寒ジャケットが欲しかったので、適当な値段でこれなら十分だろうと買った。実際着て使ってみて、まあこれは値段相応で十分だなと思っていた。その道具しか知らなかったらそれで十分。バイクに1年乗って、雨具が必要と思った。けれど、カッパは高価なものでも基本的に蒸れるのであまり好きではない。ひとつお気に入りのカッパも所持している。今なら持ち運ぶのにもかさばらないカッパも売っている。セローを買う際、必要に迫られてツーリングジャケットを買った。ゴアテックスのジャケット。これは防水透湿性だ。これが大きな違い。カッパを持ち運ぶ必要がない。値段は高いけど、ひとつの道具として持っている能力は、今までふたつの道具でまかなっていた能力がひとつの道具を持つだけで済む。言葉にすれば僅かだけど、実際使うことになると、ひとつの道具でふたつ以上の能力を発揮することは、物凄く代え難い価値があると思う。
まー、このことはバイク用品を買うことに限らず、様々な事に繋がることと思うけど。

仙台へ向けて出発

出発時の時間と距離 目が覚めたからとは言え朝早すぎ
今日は苫小牧まで移動し仙台行きのフェリーに乗船。朝早く自宅を出発し、札幌のバイク屋さんでまずタイヤ交換。時間掛かるものかなと思ったらあまりにあっさり終わってしまい、昼から時間をかなり持て余してしまった。仕方がないので支笏湖畔で1時間以上ボーっとして時間を潰した。ベンチに腰掛けてると天気が良いせいか、バイクが次々やって来てはちょっと休憩して去って行く。自分のように時間を持て余している人は居ないようだ。寒さ対策をしていたせいで、湖畔は暑くて仕方がないので苫小牧へ移動。湖畔は涼しいかなと思っていたのに残念な結果だ。だいぶ時間が早かったけど苫小牧のフェリーターミナルへ入ると受付が始まっていたのですぐに手続きを済ませる。受付の人、いつからやってるのか知らないけど、何時間も前から受付業務大変だろうなー。少しフェリーの写真を撮ったりしてターミナルの外に出ると、スーツを着たおじさんに話しかけられた。何だろうと思うと今日は仕事だけどライダーとのこと。バイクに乗っていると、意外なところで話しかけられる。何回目だかわからん。話しかけて来たおじさんは、旅するライダーというか、自分がやってみたいと思っていたキャンプをしつつ旅をするライダーだった。自分が時間を持て余していたこともあったけど、小1時間は話したかなー。せっかくだからいろいろ教えてもらった。オフロードバイクのこととか、キャンプ道具のこととか。もっと時間があったらまだまだ教えて欲しいことがいっぱいあった気がする。自分が今年行きたいと思っている函岳にも2回バイクで行ったことがあるそうだ。経験も豊富そうだし、良い先生になってくれると良いと思う。せっかく携帯電話の番号を教えて貰ったので、機会をみて連絡してみたい。
バイク屋さんではタイヤ交換の時間中、担当さんがセローの状況を報告してくれた。てか、休みなのに自分が来るだろう時間に合わせて出て来てくれた担当さんには申し訳なかったな。セローの購入を決める時には自分の中で変な葛藤があったけど、やっぱりあの人が自分の担当さんで良かったなと思う。同じ店でも他の人が担当だったらどうなのかなーって思う部分もあるし。もちろん自分が通うバイク屋さんは良いバイク屋だと思う。ひとつのお店として、応対とか平均以上の点数を付けられると勝手に思っているし。しかししかし、人って何回も話なりやりとりなりしてみないとわからないけど、自分は自分の担当さんがホント当たりだと思う。もし、バイクを買いたい人が居たら、自分の担当さんから買って貰えるよう勧めてしまうと思う。そして、肝心のセローの状況としては、仕方がないかなーって感じ?!担当さんのお客さんでセローに長く乗っている人に聞いたところ、似たような症状や、もっと重いと思われる症状が出ていたりするということだ。距離が出てくると何かしら不具合が出てくるのかな。ま、当たりの車体ではなかったと言うことで諦めることも可。全てにおいて100%を求められるのは、新車を買った場合に限ると思っているから。いちおう部品を交換したり、まだ調べたりしてくれているようなので、担当さんから連絡が来るのを待つかなー。
スーパーブラックバードは、リアタイヤのみミシュランのパイロットロード2へ交換。パイロットロード3ってのが最新型だけど、パターンが好みではないことと、評判の良かったタイヤがどのようなものか1度使ってみたい興味があった。バイクのタイヤって、使い方にもよるけど車に較べて物凄く消耗が早いし、バイクがきちんと走ることに対してタイヤの能力への依存度が凄く高い。バランスを考えるならばもちろんフロントタイヤも一緒に交換すべきと思うけど、自分のタイヤの使い方を消耗具合から考察すると、今回交換したリアタイヤを使い切る頃にフロントタイヤも交換時期になると思う。そんな訳で今回はリアタイヤだけ交換。

溝もばっちり、これで安心して乗れる

タイヤを交換した距離12255km
明日は仙台の実家へ。どうなっているのかな。ちょっと複雑な心境。

2011年5月4日水曜日

セロー入院?!

今日、バイク屋の担当さんが、遠路はるばるセローを引き取りに来てくれた。エンジンの息継ぎを点検、整備するためである。売った側にも責任があると言えばそうなのかもしれないけど、言葉にするのは簡単でも実際にやるのは大変なことだ。距離が出ても良いと言ってあるので、プロに診てもらってとにかく息継ぎ現象が解消されると良いなあと思う。しかし、5月になってもメチャクチャ寒い中、引き取りに来てくれて本当にありがたい。
セローを点検整備に出したことで、仙台への帰省はスーパーブラックバードで行くことになる。換えるには本当はまだ早いと思うけど、仙台へ出発する日にリアタイヤを新品のパイロットロード2に交換する予定。担当さんには口頭で伝えておいた。前から仙台行きをセローでということを担当さんに話していたのですいませんと言っていたけど、それよりもセローの面倒をよろしくお願いしますって感じ。自分は安く売ってもらった気持ちでいるけど、調子を崩したセローを売ったことで申し訳ないと思ってくれているならば、点検整備費用を安くしてくれるか、タダにしてもらえればありがたい。購入して引き取ったばかりのバイクなので、こういう場合はどうなるんだろう?バイク屋さんで費用をみてくれるのかな?でもあまりケチなことを言って、お金を払わないのは良いことではないという意識があるので、請求されても納得できる内容ならばちゃんと払おうと思う。まあ、自分がこういう気持ちになれるのも、担当さんに良くしてもらっているという潜在意識があるからだろう。人の気持ちってそんなものだと思う。