2010年12月8日水曜日

2010年10月1日~8日 友達と再会&帰省ツーリング

10月1日
初日にして最大の難関、仕事が終わってから苫小牧まで走り、22時30分までに苫小牧~八戸のフェリー乗船受付を済ませなければならない。朝1番で上司に「今日は勤務時間が終わったらスグ帰ります!」と断りを入れ、勤務時間終了と共に急いで帰った。準備していた荷物をバイクに落ちないようくくり付け、充分に暖機運転をして出発。しばらく走ると後ろからカッ飛びアウディが現れたのでついて行く。これでかなりの時間が短縮できた。途中1回の給油と1回の休憩を入れたが、21時過ぎには苫小牧に到着。再度給油して、コンビニで寝酒とツマミを買ってフェリーターミナルへ。結果的には受付が始まるよりも早く到着できた。

乗船待ちをしている時に、オフロードバイクに乗っていた自分よりも年上の中年ライダーに話し掛けられた。そう言っても高校生の娘が居るとは思えないくらい見た目は若い。このライダーは青森の実家に帰省がてら奥入瀬までツーリングへ行くそうだ。船内へ入ってからもこのライダーと一緒にお酒を飲みながらバイクネタでしばらく話し、それぞれ持って来たお酒がなくなると同時に『明日も早いし寝ますかー』と就寝。連絡先を交換したりしなかったけど、旅先での出会い、楽しい会話、短いながらもとても良い時間を過ごせたと思う。

10月2日
フェリーを下船し、一緒だったライダーとはお互いの旅の無事を祈って別れた。自分は八戸ICから八戸自動車道へ上がった。しばらくCB1300SFとランデブー走行したが、何か変な対抗意識を持たれているようだった。相手がどう頑張っても、自分はテクニックがないけど、直線でスロットルを開ければすぐに追いつく。そのおかげで安代JCTまでは良いペースで走れた。CBは青森方面へ。自分は東京方面の東北自動車道へ。しかし、この日はすぐにお尻が痛くなった。トイレに行くよりも、左手が痛くなるのよりも、お尻が痛いのが耐え難いなんて珍しい。岩手山SAで休憩。
10~15分位休憩するつもりで入った岩手山SAだったけど、隣に停まったハーレー乗りのおじさんに「おはようございます」なんて挨拶をしたら40~50分話し込んだ・・・と言うよりも、ほとんどおじさんがひとりでしゃべってた。おかげでお尻が痛いのはすっかり解消したけど。おじさんは失業中で、家にじっとしていても働いている奥さんの邪魔になるからとのことで、しばらくの間ひとりで北海道ツーリングへ出ていたそうだ。それにしても無職でハーレー。凄いとしか言い様がない。このおじさん、見た目が若く40歳そこそこかなと思ったらもう50歳近いそうで、北海道には30年近く毎年訪れているそうだ。「昔は北海道の旅と言えば函館から始まったものだけど、今はみんな苫小牧からすぐに道東へ向かうので、函館を知らない本州からの旅人があまりにも多い。」とか、「キャンプ場へ行っても、昔はあちこちから来た旅人の情報交換の場だったのが、今ではキャンプ場に定住しちゃっているような人が居て、昔のように情報交換ができるような場所ではなくなっている。話すことと言えばキャンプ場を地元とした話しばかりで面白くない。」と、どちらかと言うとさみしさのこもったようなグチ染みたことを延々と語っていた。あまりにひとりでしゃべっているので半分聞き流しているつもりだったが、熱心に語られると結構記憶に残るものだ。次に停まったのが長者原SA。パンを買って軽い昼食。SA内の人の多さにびっくりした。給油を済ませさっさと出発。

暑くなってきたので吾妻PAで着込んでいた服を脱いだら荷物が増えた。仕方がないけど、北海道と本州の気温差は何とかならないものか。荷物が増えるのは嬉しくない。動きやすく夏涼しく冬暖かいみたいな万能ウェアできないかなー。その後郡山JCTから磐越自動車道へ乗り換え、さらにいわきJCTから常磐自動車道へ乗り換え。常磐自動車道へ乗り換えた頃、次の給油SAを失念し、少なくなったガソリンのメーターを見ながら少しアオくなった。『事前に計画していた給油すべきSA通り過ぎていたらヤバイ・・・』と思いつつ、次の関本PAで止まって確認すると、ちょうど次の中郷SAで給油の予定だった。ぼーっとして通り過ぎていることはないと自分を信じていたものの、高速道路のガス欠は絶対にやってはらなないミスなので、ホッとしたのは言うまでもない。中郷SAで給油を済ませ、次に止まったのが千代田PA。ここら辺まで来ると車線は4車線だし、かなり東京に近づいたイメージ。宿泊予定の柏の友達にここで連絡を入れて出発。予定通り柏ICを下りて市街地方面へしばらく走り、ファーストフード店の駐車場から再度友達へ連絡。迎えに来てもらうことにする。
上はしばらく友達を待っている間に暇だからと何となく撮った写真。個人的に、パニアやトップケースなしでは満載だろうなーなんて思っている。しかし、柏の友達のところに少しお土産を持って行ったので荷物が少し減るなーなんて思っていたが、脱いだ服をパッキングをすると全然荷物の量が減らない・・・はっきり言って面白くない。この日は銭湯をおごってもらい、友達の奥さんが作ったおいしい晩ご飯をいただきながらお酒を飲んで就寝。長時間のライドもあって寝つきは良かった。

10月3日
行くぜターンパイク!この日は今回の旅のメインイベント、箱根ツーリング。東京で働いている大学時代のサークルの先輩と柏の友達とツーリング。8時に箱崎PAで待ち合わせ。ところが首都高で一緒に出発した柏の友達とはぐれ、連絡を取ろうと止まった非常駐車帯で先輩が通り過ぎるのを見かけ、待ち合わせ場所を東名高速入口へ変更。首都高は上り下りのいずれかにしかPAがなかったり、首都高初心者にとって首都高での待ち合わせは難易度が高い。ヘルメット内蔵の無線機や、全車に同じGPS機能付きのカーナビでも付いていれば簡単かもしれないけど。
先輩のドゥカティと自分のスーパーブラックバード。柏の友達を待っている間のワンショット。この後無事合流して箱根へ向けて出発。北海道出発前の天気予報は悪い予報だったけど、結局この日は持ちこたえてくれて楽しいツーリングに。しかし、湘南の海岸沿いを走るに、大型バイクだとエンジンからの熱気がとても熱い。そして、箱根へ向けて走っているとバイクがだんだん多くなっている気がする。そして念願のターンパイクを上がると、物好きな人達がいっぱい。バイクやら車やら。
ターンパイクを上がったところの休憩所から写した写真。後ろにうっすら見えるのは富士山。
さすがエヴァンゲリオンの聖地箱根。あちこちで何となくアニメで見たような風景に出会う。このあたり、やたら有料道路が多く、何だか『何でもお金』みたいな感じがしてちょっと嫌な気持ちになる。けど、バイクで走るにはクネクネした道路がとても楽しく、北海道では味わえない楽しいライディングだ。自分は個人的に北海道の信号のないまっすぐな道路より、箱根のクネクネした山道のほうが好きなようだ。

もしお金と時間に余裕があったら、泊りがけで箱根を好きなだけ走り回りたい。ビジターだから見る風景は飽きないし、何よりライディングが楽しい。このあたりは温泉も有名だから、1回位は心地良い温泉宿に泊まるのも良いと思う。あー、また行きたいけど次に行くのはいつになるかなー。その後、遅い昼食を山中湖のそばの店で『ほうとう』を食べて帰路へ。ほうとうは体が温まったしまあまあうまかったかな。帰りの首都高ではお約束であるかのように3台全車はぐれ、先輩とはそのまま別れ、柏の友達と合流したのは常磐自動車道入口だった。疲れもあったかもしれないけど、学習能力なさ過ぎか。柏の友達宅へ帰宅後はまたおいしいご飯と晩酌。風呂にも入れてもらって気持ち良くなった後はサクッと就寝。相変わらず寝つきは良い。

10月4日
友達が自分の滞在に合わせてわざわざ仕事を午前半休を取ってくれていたので、予定より遅く10時頃柏を出発。快く泊めてくれた友達と奥さんには本当に感謝だ。向かう先の天気予報は雨の予報ばかり。初めからカッパを着ていたので良かったけど、常磐自動車道の途中から、この日の晩、宮城県内に入るまで強い弱いの差はあるもののずっと雨だった。この日の主な予定は小国での墓参り。
柏→常磐自動車道→磐越自動車道→日本海東北自動車道→村上市→小国町→南陽市→山形市→山形自動車道→川崎町→仙台市
一般道を含む1日の走行距離としては過去最高ではないだろうか。しかも雨が降る中のライディング。グローブは当たり前に濡れて手から外れないし、はこうにもなかなか指が入らない。体は値段のわりに性能が良いカッパのおかげでひどく濡れることはなかった。このカッパを利用して改めて思うことだが、必要な道具は吟味してお金をかけて手に入れるべきと思う。何かがあった時、道具の有る無しで結果が全然違ったりするはずだ。

10月5日~7日

5日から7日は仙台の実家でほとんど過ごす。上の写真は年老いた実家の猫ちゃん。仙台滞在中、1回だけバイクで石巻の親戚の家へ行った。小さい頃は物凄く遠く感じた距離も、北海道で生活する今となってはほんのわずかの距離に思える。しばらく振りに会ったばあさんやおじさんは、もちろん自分もそうなのだろうけど明らかに歳を取ったと感じた。7日の晩には北海道へ向け仙台を出発した。
仙台のフェリーターミナル前から乗船したフェリーを撮ったが、下手であまり綺麗に写っていない。
過ごした2等船室は、他にふたりの乗船客が居たが特に問題もなく寝ることができて良かったと思う。今までフェリーに乗るというと、だいたいB寝台という2等よりちょっと値段の張るところに乗っていたけど、これからは混雑時期じゃなければ2等で充分と思う。

10月8日
苫小牧着後、札幌のバイク屋まで走り愛車を冬季保管のために預けた。時期的にちょっと早い気もしたが、寒くなってから札幌に預けに来るのも大変なので早めの決断だ。

総走行距離を見ると、今年乗り出してから約7,000km走ったのがわかる。来年の春は乗り出す前にエンジンオイル交換、オイルフィルター交換、スパークプラグ交換、チェーンの張り調整、ミッションオイルの交換などをしようと思う。とにかくお金が掛かるなー。バイクを預けた後は、嫁さんの妹に迎えに来て貰い昼飯を食べに行った。昼食後、地元までの都市間バスを待つまでの間、妹のアパートへ行ったが・・・
妹のネコが・・・初めは超敵対心で尻尾をふくらませて自分から逃げること逃げること。写真の表情を見れば敵対心を持っているのがわかると思う。結局最後までなつくことはなく、だっこしてもすぐに逃げるし『可愛くねーなー、ちくしょー』だった。数ヶ月前まだ小さかった頃は抱いてもおとなしく、可愛かったのに・・・

この旅を終えて今年のライディングは終了。

早く春が来ないかなと、暖かい春が待ち遠しいのです。

2010年12月2日木曜日

2010年9月20日道内ツーリング

朝早くに自宅を出て、途中枝幸の道の駅で休憩をとりつつ紋別までたどり着き、セブンイレブンに寄って休憩をとっていると、来る途中に追い抜いた自分より年上の青森から来たという熊みたいなおっさんライダーにナンパされた。「今日はどこまで行くの~?オレ、今朝、浜頓別のキャンプ場から来たんだけど、あそこのキャンプ場良かったわ~!」なんてバイクに乗ってなかったら、こんなおっさんと話すこともないんだろうなと思いながら「今日は羅臼行ってから北見に泊まる予定です!」って言ったら、何だかちょっとヒキ気味の表情をされ「オレは今日網走泊まりなんだ~!内陸入って遠回りしていくから、ちょうどここの交差点から別方向だわ~!」だって。もはや道民の自分にとってはちょっと遠いかな的感覚の距離も、内地の感覚で考えるとだいぶ遠い距離だろう。この日の走行予定距離は青森~東京に匹敵する距離だ。おっさんは1日に300km位走るのが調度良いとか言ってた。特に1日で走る距離を自慢するとかそういうのが本題ではなかったはずだけど、おっさんは1日の最高走行距離が1000km位だと言っていた。バイクの後ろに取り付けていたでかいツールケースについては、「キャンプしながら道内まわるのにはこれが便利なんだ~!道具いっぱい入るし、イスにもなるしね~!トップケースならこういう訳にいかないでしょ!」だって。確かにそうだ。トップケースに座るとケツが痛くなりそうだ。どうやらおっさんは、旅行代金をできるだけ掛けずに快適な旅行ができるように頑張っているようだ。自分はお金持ちではないので、そういう部分はとても共感ができる。とにかくわかったことは、浜頓別のキャンプ場は安くて快適だということだ。その後、紋別市内で給油し、できるだけ距離を稼ごうと頑張ったけど、調子が悪い日は200km位走るとクラッチを握る左手が痛くなる悪い持病が出て、網走に入る頃にはかなり痛かった。
網走の市街地を抜けてしばらく走り、セイコーマートで飲料を補給して、痛くなった左手を休めるつもりでコンビニの裏手の土手を上がって海を眺めてみた。サケ釣りしてる人が結構居たなー。サケの刺身は美味しいけど、時間と労力をかけて自分で釣りたいと不思議と思わない。たぶん、掛けた時間のわりには数が釣れないからだろうなー。そして、斜里あたりまで来ると北海道でも道東独特の雰囲気の風景に変わってくる。強めの南風に耐えながらオシンコシンの滝まで走り、観光客に混じって撮った写真はあまりにもイマイチだった。と言うか、滝自体は当たり前に滝なんだけど、「スゲー!!」って感動するほどの滝ではなかった。駐車場やらお土産屋やらトイレやら、滝に併設するように施設があるけど、個人的には非常に『ん~・・・』な場所だった。そこから少し走ってこの日とても楽しみにしていたウトロに到着!しかし、お目当ての食堂を見つけることができず、羅臼まで行くかと知床峠を上がることに。斜里あたりを走っていた時から『羅臼岳のあたり雲がかかってるけど、きっとガスがかかっているだけだよなー』なんて勝手な判断をしていたけど、これが大きな間違い。個人的に思うに初心者の甘い判断ミス。峠の途中から、普通に雨が降ってるし、Uターンしようにも峠道の雨やら霧やらで視界が悪い中、そんなことができるスペースを見つけることができる訳もなく。残念ながらずぶ濡れになって羅臼側まで下りて、そこからUターンして晴れているウトロまで戻りました。予定ではウトロで美味いメシ食おうと思っていたのに、ずぶ濡れになったことで意気消沈して、結局コンビニでパンと温かいコーヒーを買ってメシ終了。あまりにも残念なメシだった・・・
上の写真の通り、ウトロはこんなに天気が良かったのに、羅臼は雨がジャジャ降り。とにかく上半身はずぶ濡れだった。ウトロのコンビニ前でさみしいメシを食った後は北見まで一気走り。北見着いてからは風呂に入って、かあちゃんの美味い晩飯食って寝て、翌日自宅に帰ったとさ!

来年は、知床峠リベンジ!

晴れてる時に走ったら、それだけで楽しいと思う!

2010年11月13日土曜日

愛車に慣れること

バイクに乗り慣れていることを判断するひとつの基準として、どれくらいタイヤを使えているかということがあると思う。たまたま乗り出した4月から10月までに3枚の写真を撮っていたので比較してみる。ただ、現在居住している地域の特性として、峠に好んで走りに行かない限り減るのはセンターばかり。都市部の宅地に住んでいたり、峠が近くにあれば絶対的に技術的に今よりも上手くなっているだろうと考えると残念でならない。そう思ったのは、首都高速や箱根の峠道を走った時に自分の技術的な挑戦というか、持てる技術を使っている気持ちになれた時に強く意識したことだ。

2010/4/24

ホント乗り始めの頃
コーナーで倒しこむのがコワイだけで車体の重さにぜーんぜん対応できてない
タイヤの『ヒゲ』が残りまくり

今は頭で『コーナーのR』『車重』『車速』『バンク角』を意識している



2010/7/25

愛車に慣れてきた頃
いつまでも付き合って行きたいバイクと思う
ヒゲもだいぶ少なくなった
比較対象が無いくせに
『ブラバ最高!』
と思うw





2010/10/2

今シーズンのライディングを終える少し前
ヒゲほぼ無し
タイヤをメチャ減らしてしまった日
天気が良いと路面温度も上がるしタイヤも熱を持つし、バイクのパワーもあってとても減るんですね・・・



2010/10/2

この日は高速道路を約600km走った
もう1年位はもつだろうと思っていたタイヤが減りまくり
段減りするし、センター付近は指でこすると消しゴムのカスのような物がいっぱい出てくる
仕方がない、これも経験だ・・・
代償は高いタイヤ代(T_T)

こうして写真つきで振り返ってみると、記録することって楽しいなと思ったw

2010年11月11日木曜日

スーパーブラックバードに初めて乗った日(今後の春先乗り出し参考)

バイク屋さんでスーパーブラックバードを引き取った日。【2010/4/17】
夜行都市間バスでS市まで行き、インターネットカフェの狭い個室で仮眠を取った。目覚めた時間がちょうどバイク屋さんの開店時間に近かったのでインターネットカフェをアウト。
乗り出しの時にざっと車体のチェックと説明をしてくれたのは、購入を決めた時の担当さんではなかった。事前にちょうど休みなのでと言われていたので特に何とも思わなかったけど、たまたま当たったのが『軽そーな兄ちゃん』だったのが残念だった。もう少し、ちゃんと説明しようよと思ったことが数点あった。

自動車学校で卒業検定を受けて以来のライディングで、乗る前は自宅まで走らせるのに不安があったけど、乗り出してすぐ『こいつとなら行ける』と思った。

当日の気温(気象庁発表データ参考)
S市受け取り11時頃:10.9℃ - 春先の暖かさを冬装備では暑いと感じた
S市出発時14時頃:10.0℃ - これから気温が下がると思ったがグローブは夏用
S川SA到着時15:07:7.4℃ - 高速道路から見える景色は残雪が多かった
R市NEX前到着時16:13:6.3℃ - 手が冷たくてここから冬用グローブ使用
T町道の駅到着時18:25:4.5℃ - フル装備でも20分位走ると体に寒さを感じた
自宅前到着19:35:4.5℃ - 体が冷え切っていた

大型バイク初乗り日にさっそく300km以上走ったことについては、先輩のバイク乗りに『根性あり過ぎ』と笑われた。本人としては、途中150km位走ったあたりからクラッチを握る左手が痛くてそれがしんどかったのと、ラスト1時間は寒くてしょうがなかったのを除けばとても楽しかった。

ごくごく普通に考えると、初日からいきなり300km以上走るのは危ないかもしれない。
少しずつ距離を伸ばすべきなのかと今は思います。
来年の春先も初日から300km以上乗ることになりますが、ライディングの感覚を戻しながら休み休み距離を走ろうと考えています。
寒い時に体がこわばるのは、バイクを運転するのにとても危険です。

2010年11月10日水曜日

CBR1100XX Super Blackbird の購入

自分の愛車である CBR1100XX Super Blackbird (以下SBB)との出会いは、まず中古バイク雑誌の紙面上であった。そもそも何故今更(2009年の秋時点)SBBを自分の愛車に選んだのか。大学を卒業し就職した2000年当時、大学時代のサークルの先輩が乗っていたバイクがSBBだった。ブルーメタリックの車体カラーはとても格好が良く、当時、S市に住んでいたわたしは先輩のSBBをT川の川沿い道路を、当時の愛車SUBARU LEGACY B4という4輪で追いかけるも簡単にぶっちぎられた。SBBの加速する姿が例えようもなくイカシテいて、あの姿が脳裏に焼きついて離れなかった。大型二輪の免許を取得する頃、中古バイクの雑誌で探すバイクは無意識にSBBばかりだった。

大型二輪の卒業検定に合格し免許を申請した後、S市のバイク屋2店をSBBを見るつもりで訪ねた。一方はホンダのディーラー系ショップ、もう一方は店舗が大きい地元のバイク屋だ。ホンダのディーラー系ショップにはSBBが4台あった。どれも1万キロ中盤を過ぎた位の走行距離で、車検が切れている車体だけで75万円程度だった。キャブレター仕様でもインジェクション仕様でも、値段に違いがない。ちょっとおかしくないか?そう思ったところで近寄ってきた営業担当さんに「11月ですし、値引きはしてもらえますか?」と聞いたところ、「サービスは特にありませんが、購入を決めていただけるのであれば、来春までの車体保管料をサービスします。」とのこと。どうにか売りたいという気持ちが全く伝わって来なかったので、その後すぐに店を出た。店頭に並んでいたバイクはどれもピカピカに磨いてあったのだけが印象に残った。ただ、売る気があるとは到底思えない店員の対応がとても買う気を削いだ。そして、雑誌に載っていたSBBを置いている店を訪問。展示してあったお目当ての車体は、ホンダのディーラー系とは違いピカピカではなく、車検が切れている車体だけで75万円を超える値札が付いていたが、店員さんに「安く見積もり出して貰えませんか?」と言ったところ、「実は先月末までセールやってたんで、上司に話をすれば同じお値段で出せると思います。11月はバイクの売れる時期ではないので、出来る限り頑張りますよ。」とのこと。具体的には点検整備、車検取得、登録費用込みで75万円になった。
自分がマークしていたSBBは2001年型の規制対応後のインジェクションモデル、最高出力は152PSで、メーター類の多くがMCによりデジタルに変更されている。走行距離が約4,300キロと経過年数のわりに走っていないのが特徴。怪しむべきところであり、初代オーナーについては不明だが、前オーナーに売って、前オーナーから買い取ったのがこのバイク屋さんで事情も聞けたのでその点については信用することにした。


SBBを引き取った日に写した距離計

バイク屋でトリップメーターを0kmにしたので、自分が乗り出した時は4,311kmだったはず。




翌日、この後自分の愛車になるSBBを置いているバイク屋に嫁さんを伴って行った。バイク屋の担当さんには「また来たんですか」と笑われてしまった。『このバイクが欲しい!』と嫁さんにアピールするために連れて行ったのだが、嫁さんは興味がない様子で「ホントに買うの?」しか言わなかった。バッテリーがあがっていたところをジャンプしてエンジンを掛けて貰い、エンジン音を聞いたが特に問題は無い様子。気になったのはリヤサスを支える部品にダウンリンクが入っていて、足つきが良いからいいものの社外品が使われていたことだ。強度に問題は無いだろうけど、自分が乗るならばノーマルの状態で乗りたい。それとヘッドライトが暗い。この時は購入する意思があることを伝え、決定するまでに2週間の猶予を貰った。いわゆる『押さえてもらっている』状態を作った。

後日(確か4日後位)、支払い総額を変更せず、下記部品交換をサービスでして貰うことを約束して契約をすることにした。
1. ヘッドライトバルブを新品に交換
2. チェーンを新品に交換
3. バッテリーを新品に交換
4. ダウンリンクをノーマルに交換
※契約時の点検整備費用に油脂類の交換は含まれている

自分にたいした交渉力がないことはよくわかっている。とにかくホンダのディーラー系のバイク屋で買わなくて良かったと思った。お金のある人は良いかもしれない。何となくメーカー系で買ったという安心感が得られる。しかし、限られたお金の中でやりくりしなければならない人には、交渉の余地がある営業さんの居る店がありがたい。これが、町のバイク屋が生き残る理由なのかなと思った。

磨いてもあまり映えないシルバーだけど、引き取った日のSBBはピカピカだった。

2010年11月1日月曜日

教習所通いの思い出

普通二輪免許を取得したのが平成21年9月末
大型二輪免許を取得したのが平成21年11月中旬
今、教習所に通っていた頃のことを思い出してみると、仕事のことより良く憶えている気がする(-_-;

嫁さんのありがたい後押しもあって、地元の自動車学校に通い始めた。この自動車学校に通って、けん引と大型特殊の免許を取得したことがある。普通二輪の教習を受けるにあたり、最初の数時間は以前に教わったことがある教官だった。8月中旬過ぎから通い始め、9月に入ると担当教官が今まで教わったことのない、だいたい自分と同じ位の年の人になった。その教官はふと気付くと消える。だいたい教習の初めはしばらく教官が後をついて走ってくれているものだけど、いつ離れて行ったかさっぱりわからない。また、ふとミラーを見た時、教官がステップに立ち腕組みをしながら自分を見ているのに気付いた時はメチャびっくりした。教習場内でそんなにスピードが出ている訳でもなく、手離しステップ立ちなんて難しいはず。何というテクニックの持ち主なんだろう。後々わかったことだけど、その教官はジムカーナやってた人で、相当なテクニックを持っていてしかるべき人だということが判明。つーか、その後、A市の自動車学校に通った時、自分の担当教官はこの人に教わった人で『あの人は上手いよ』と言っていた。普通二輪の卒業検定間近の教習の最後に『慣熟走行してみる?』と言われ、教官を追って走るもまったくついて行けなかった。教習場内のS字や8の字に走れる区間を1速もしくは2速を使い、バイクをフルバンクに近い状態で走るテクニックは今でも無いでしょうね・・・アクセルワーク下手すぎ・・・
普通二輪の卒業検定は、この教官に少しプレッシャーをかけられた気がしますが、そのおかげで(?)一発クリアでした。『操作をミスしなければ大丈夫』みたいなごくごく当たり前のことを言われた気がします。当たり前のことが難しくなるのが卒業検定ですよね。
(教習使用車両: HONDA CB400 SUPER FOUR)

普通二輪免許をA市の運転免許試験場に申請しに行ったついでに、大型二輪の教習をしている自動車学校へ入校申し込みに行くと、『今日は空いているので教習を受けることが出来ますがどうしますか?』と言われ、遠方の自動車学校へ通う回数は少しでも減らしたかったのですぐに教習を受けることにした。念のために普通二輪の教習を受けていた時の手袋や長靴を持参していて良かった。長靴と言えば、二輪の教習に通うにあたり、あまりにも長靴で教習を受けている人の数が多いのにはびっくりした。最初から、ライディングブーツで教習を受けるリッチな人もなかなか居ないでしょうけどね。この自動車学校ではバイクの教習を受ける女性が多いのにびっくりした。自分が教習を受けた時間では、女性の方が多い時間もあった。教官が言うには、女性の方が計画的に卒業後、すぐにバイクを買うお金を貯めてから来る人が多いとのこと。大型二輪の1番初めの教習では、バイクの大きさに圧倒されたことと、カーブを曲がった後のハンドル操作の違和感、直進方向にハンドルを戻すのに力がいることにびっくりした。正直最初の教習を終えた時には、こんなバイクでパイロンをかわしてスラローム走行できるか、一本橋を渡れるか、クランクを抜けられるのか自信がなかった。数時間乗って車体の大きさにも慣れた頃、大型二輪の教習を受けているほっそりとした女性が居た。凄いなーと思っていたところ、自分の前にフラ~っと横道から出て来てさも当たり前のように走っているのがムカついたことがあった。絶対に男性の生徒だったら教官のおしかりが入るところ、女性のこの走り方は見逃されていた。その時、『自分が教官なら見極めで3回は落としてやる』と腹を立てながらその女性の後を走っていたのを憶えている。結局、自分の記憶では、スラローム走行でパイロンを倒すこと3回、エンストすること2回、ぱったりバイクを倒すこと2回、一本橋で落ちること3回、急制動でリアタイヤをロックさせること1回で全ての教習を終え、卒業検定は1回でクリア。卒業検定の試験官には『あなた上手かったけど、ニーグリップもしっかりしてたし普通二輪取ってからすぐに来たんじゃない?』とバレバレだった。ちゃんと見ているし、なるほどなーと思ったのは、『一本橋の時、後半はペース上がったけどどうしたの?』と質問をされたので『嫌な予感がしたので、落ちるよりはとすぐに抜けたんです』と正直に答えたところ『そう、そういう判断はこれからバイクに乗るにあたって大事ですよ』と、逆にほめられた。ほめられたと言うか、判断として決して間違っている訳ではありませんよと言ってくれたことを、素敵なことを言って貰ったように感じた。指摘事項として、『右折後の加速が甘い』ということだった。卒業検定を終了後、A市へ行く用事もなく地元の警察署で免許を申請したので、大型二輪免許の受領は申請後約2週間後となった。
(教習使用車両: HONDA CB750)

2010年10月29日金曜日

やっぱり二輪は楽しい

中退した高専の3年生の時に原付免許を取った。原チャリを乗り回し家に帰らなかったので、その後、車の免許をなかなか取らせて貰えなかった。ようやく自動車免許の教習を申し込んだ時に中型二輪の教習も同時に申し込んだけど、普通自動車の免許を取得するまでに半年を要した為、二輪は教習を受けることなくお金だけ返して貰った。何が原因かと言えば、大学時代のダラダラとした生活で通学を3ヶ月サボって、普通自動車の免許を取得した時には冬になってしまっていたからだ。

そんな頃から10年以上経ち、嫁さんから『取りたいなら取れば良いんじゃない?』と言われ、勢いづいて自動車学校へ通い始めたのが運の尽き?!普通二輪だけでは飽き足らず、遠方の自動車学校まで通って大型二輪まで取得してしまった。何故大型二輪まで取得したかと言われれば、とにかくバイクに乗ることが『楽しい!』と感じたから。


若者の自動車離れ、バイク離れが自動車やバイクの製造メーカーの売り上げに大きな影響を与える時代に、中年の自分はバイクにまたがった時、青春時代(?)の空気の感覚を思い出しながらバイクを乗り回し始めたのです。

自分の操作に対し、ウソをつかないバイク。そんなバイクが大好きで、中年になってからライダーの広く深い世界に入り込んでしまいました・・・