2011年11月12日土曜日

放課後

放課後 東野圭吾 講談社文庫

を読んだ。
先日、休みの日に一気読みしたけど途中で飽きることもなく読めた。以前、同作家の「嘘をもうひとつだけ」を読んだ時には『ひどい作品だな』と思ったけど、人気作家の実力はこんなものではないだろうと本作を買って読んでみたらやはり面白かった。本作が初めに刊行されたのは昭和60年9月と巻末に印刷されている。当時の自分、10歳たらずのガキ。同作家は本作で第31回江戸川乱歩賞を受賞し、専業作家となった。なるほど、評価されるべき面白さがある訳だ。

作中、微妙な記述で疑問を残す点は、その答えが後に必ず示される形で読み終えてスッキリしないということはないと思う。クライマックスである第7章は本当に面白かった。最近読んだ本の中では緻密に組み上げられた作品だと思う。けど好みとしては、全体的にもっと細かな表現や気配りが欲しい感じ。

「嘘をもうひとつだけ」と「放課後」を読んで思ったこと。それは締切に追われる専業作家の厳しさだ。作家は書かないとお金を得られないし、出版社は人気作家の作品を出版しなければ売上がない訳で。楽な仕事はないですよね。

2011年11月8日火曜日

オーデュボンの祈り

オーデュボンの祈り 伊坂幸太郎 新潮文庫

を読んだ。
「人の砂漠」を読んでいたペースと比較するとだいぶ早いペースで読み終えた訳だけど、特にハマった訳でもなく翌日が休みということで夜遅くまで読んでしまった感じ。

以前、今時の人気作家の作品を読んでみようということで同作家の「死神の精度」を読んだ。音楽好きの死神がレコードショップで音楽を視聴しているシーンは何回も出てくるのだけど、そのシーンのうちのひとつが、どうも自分には仙台の一番町にあった変てこなビルの3階にあったタワーレコードを想像させるものだった。今はもうその店舗はないのではないかと思うけど、自分の記憶が確かなら1階がスーパー、2階が主に女性服系のアパレルテナントが入っており、3階がタワーレコードだった。もしかしたら1階もアパレル系だったかな。15年以上も前の記憶なので曖昧。けれどそのシーンで仙台のイメージが甦ったのは、どこか自分を嬉しくさせた記憶がある。変てこなビルというのは、エスカレーターの位置が何となく変だったし、中に入っていたテナントのターゲットジェネレーションが自分のイメージとしては物凄くバラバラだったし、そして何より古さを感じさせるビルだった。

そして「死神の精度」を読み終えてからしばらく後で、「あー、当たらずとも、きっと遠からず」と思った。伊坂さんは自分と4歳違いの1971年生まれ。東北大学法学部卒業、現在も仙台在住。20歳前後に見た仙台の街中の風景は同じようなものだったはずだから。もちろん、伊坂さんがどこのお店をイメージして死神に音楽を聴かせていたかは知らないけれど。

「オーデュボンの祈り」本作を読んでみようと思ったのは、伊坂さんの「処女作」を読んでみようと思ったから。数々設定されていく謎を、後々解いていく展開。読み進めるうちにできる胸のつかえを、読み終える頃には解消してくれる感じかな。「仙台」「牡鹿半島」等、自分の記憶を刺激する「シンボル」は何度も登場するものの、描写から風景や景色を想像させるようなシーンがなかったのは残念。ひどい言い方かもしれないけど、舞台設定上「仙台」が「名古屋」「札幌」「博多」等の地方中枢都市であれば、どれも大差がない気がする。ま、「仙台」の風景や景色と言っても、「仙台」のそれの中に何か強烈な特徴がある訳ではないけれど。もしかしたら、強烈な特徴が隠れやすいのが仙台の特徴かもしれない。

単純な感想として、もちろん駄作を読んだとは思わないけれど、満足感も少なかった。

2011年11月6日日曜日

人の砂漠

人の砂漠 沢木耕太郎 新潮文庫

を読んだ。

先月ブラックバードをバイク屋さんに預けに行った帰り、長距離バスの中で読もうと中古本屋で105円で買った文庫本。あまり時間の無い中、作家と短編集であるということだけで選んだ本だったが、実際に読み始めてみるとやけに字が小さくて読みずらい。行間や文字間も少し狭い気がする。裏表紙を1枚めくると「定価400円 昭和55年12月25日発行」とある。今時の400ページ以上ある文庫本なら少なくとも600円程度はするだろうし、文字も大きいのでページ数も相当なものになるか2冊に分かれていると思う。出版社によってページあたりの文字数が違うと思うけど、解説の最後のページが439ページなので、文字の大きさを1割2分増しで計算すると526.8ページとなる。自分の場合は、どちらかと言うと105円で買ってちょっと得した気分。

10月中はくだらない遊びばかりをしていて全然本を読まなかった。遊びによる浪費という経験だけ積ませてもらった。

ルポ・ルタージュ、ノン・フィクションの8つの短編からなる「人の砂漠」。どれもこれも『すんなりと自分に入って来る』気がした。けれど、内容的に読み進めことが難しかったりするものもあったので、読み終えるのに時間が掛かったとも思う。

これまで、沢木耕太郎さんの作品は「深夜特急」「凍」しか読んだことがなかったけど、いずれも好きな作品だ。旅の本は結構な冊数読んだけれど、『自分はいつか旅に出るんだ』という気持ちを持続させているのは「深夜特急」だと思う。沢木耕太郎さんのこの作品でしかそう思っていない。山の本としての「凍」も、日本の大衆一般的には「とあるアルピニスト山野井泰史」である山野井さんを自分に教えてくれた記念すべき本である。山野井さんはギャチュンカンから生きて帰ったから良いと思うし、今、同じ時代を生きた人間として今も存在し続けているからそれだけで嬉しく思う。また、ポツリ、ポツリと、何らかの媒体を通して彼の感じていることを知ることができるのがとても貴重であり、とても嬉しく思う。

「人の砂漠」中で1番短い短編、「ロシアを望む岬」を読んで、自分が何故、沢木耕太郎という作家の作品が好きかという理由がわかった気がした。8つの短編のうち1番短く、それだけのページでしか表現できなかった、自分の知っている世界だったから。もし自分が己が感じたように「ロシアを望む岬」を書いたならば、おそらく同じように原稿は多くの枚数にならないと思うし、そこに凝縮する言葉や文章で十分だし、それで伝わらなければ仕方がないと思うから。調べれば調べる程広く、まとめて伝えるには難しいのではないかと感じ、「ロシアを望む岬」はそのように文章化され、短編の一部となり出版されていた。

本作は個人的に、読んでとても良かったなと思える本だった。

2011年11月1日火曜日

セローの冬眠

冬支度はまだ早いかと思ったけど、天気が良かったのでセローを冬眠させることにした。これから次第に気温が下がる時期、天気が良くても指先がかじかむようになるとイヤになると思ったからだ。

サーッと洗車して汚れと水気を拭き取り、いちおうチェーンにチェーンルブをスプレーした。燃料コックをオフにしてキャブレターの隣にあるネジを回し、キャブレターからガソリンを抜く。それからシートを外し、さらにシート脇のカバーを外し、バッテリーを外す。バッテリーを外すのは初めてだったので少し手間取ったけど、少し手こずっただけに付ける時にはすんなりできると思う。もちろんタンクにはガソリン満タン給油済み。

そして気付いた時には時既に遅く、今年最後の距離計撮影を忘れてしまった。バッテリー外してしまったし、もう納める場所に納めてカバーもかけてしまったし、距離計撮影の為だけにバッテリーを繋ぐのもなぁ・・・

記憶が確かなら、20,1??kmなはず。乗り出してから約2,000km走行ってとこだったかな。

来年は乗り出してすぐにオイル交換をしないといけない。エンジン内の部品を数点交換していたので、本当はもっと走ってオイル交換もしたかった。部品を交換してからは部品が馴染むまで燃費が悪いと思っていたけど、ホント燃費が悪くて「んーーー・・・」だったのだ。25km/litterって・・・orz 少なくとも30km/litter程度走ってもらわないと遠出しにくい・・・

来春は元気良くエンジンかかってくれよ!