2011年3月26日土曜日

震災に故郷を想う

2011年東北地方太平洋沖地震の当日、翌朝の仙台行きの飛行機に搭乗するため自分は嫁さんと車に荷物を積み込み自宅を出発した。今回の仙台への帰省は、親父の希望で家族を集め温泉旅館へ宿泊の予定だった。テレビで災害の状況を少し確認していたが、災害の程度もわからないし、家族のイベントを簡単に中止するとも思えずとりあえず自宅を出た。しかし、出発後間もなく姉からイベントは中止とメールを受信した。地震直後、母親とは携帯電話で話すことが出来たが、姉からのメールを受信した頃には携帯電話での通話は困難な状況だった。自宅に引き返しテレビを見ると、これまでに見たことのないような惨状が放映されていた。仙台の家と家族は無事という事が確認できていたが、親戚の多い石巻からの情報が全くと言って良い程に無く、いとこが津波にさらわれたとか、いろいろ情報が錯綜していた。

1週間後位には親族の被災の状況が明らかになった。自分のごく身近な縁者には死者が幸いなかった。ただし、自分からやや遠い親戚には家ごと行方不明になった人達もいる。家は残ったが浸水して住めないとか、地盤の沈下で家から水がなかなか引かないとか、とても気になる話ばかり。自分を育んだ場所を失う気持ちというのは今まで味わったことが無かったが、親しい人を失った時のように喪失感があるものだ。

仙台の親に早くそちらに行ってみたいという希望を伝えるも、『食料が無く、ライフラインの供給がままならない時に来られてもこちらの負担が増える』『原発の問題が解消されないうちは来るな』と断られた。それにしても実家に行く手段に『空路』『海路』が挟まる自分としては、まず本州へ渡る術が無い。仙台港や仙台空港を経由するルートが復旧するまでは相当な時間が掛かると思われる。隣県の空港を利用しても迎えが来る余裕が実家にある訳も無く、隣県の港を利用するにしても同様。道内を移動する時と同様に、車やバイクでの移動が便利で頼りになる状況だ。ただ、今日現在の状況で、仙台のガソリンスタンドでは未だに需給バランスが崩れており、ガソリンの補給に苦労している状態。現状から考えると、自分が仙台へ向かえるのは『ガソリンの給油がある程度自由になる』『原発の問題が落ち着く』という条件が付く。そして、ガソリンの給油制限が続くほどバイクで仙台に向かう確率が高くなる。少しの荷物と自分だけ向かうならば、もちろんバイクの方が有利だし経済的だ。多少道路が悪くても走れてしまうのも良いと思う。東北自動車道が通れるようになったとの報道があったので、サッと行って帰るならブラックバード、多少回り道をしたり田舎を訪れるならセローかなと思う。

多少ワイルドに生きることが出来るようにキャンプ用品を揃えようと思ったりとか、決して非常時の備えという訳ではなかったのに、今回の震災が起きたことによって、自分の気持ちがこのようなことを察知しているかのようなものであったり、セローを被災地巡りに使うならば、その用途に適していることに複雑な気持ちだ。

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